『わかっていることで最も重要なことは、仕事と働くことすなわち労働とが根本的に異なるということである。』
P.F.ドラッカー,マネジメント【上】第16章
仕事と休息を並べたら、休息の方が良いでしょう。しかし、仕事と引退では仕事の方が良いのではないでしょうか。仕事があることと仕事がないことでは、圧倒的に仕事がある方が良いでしょう。遊び感覚で仕事が成立すれば楽しいかもしれませんが、遊び半分で手術をされては困ります。仕事という言葉は名詞であるとともに、働くという意味の動詞でもあります。仕事があるから働くことができます。誰かが働かないかぎり仕事は行われませんし、仕事がないかぎり、働くことができません。しかし、仕事は働くこととは違うのです。
仕事と遊びの違いは何でしょうか? 同じことを行っているように見えても、心理的にも社会的にも両者は全く違います。仕事は客観的な存在で、仕事は何かしらの成果を生み出します。これに対し、遊びの目的は遊ぶ人自身にあります。仕事の目的はユーザーにあります。その行動がユーザーのためのものであれば、それは遊びではなく仕事です。遊びの将棋もあれば、仕事の将棋もあるのです。
○仕事と働くことと働く人たち
仕事とは客観的なもので、なされるべきものです。仕事は成果に標準を合わせた上で、基本的な作業を明らかにし、論理的な順序に並べることです。働く人たちが成果に満足したとしても、仕事が生産的でなければ失敗です。逆に仕事が生産的であっても、働く人たちが成果を上げられなければ長続きはしないのです。
仕事に対して働くこと(労働)は、働く人の活動になります。論理ではなく、いくつかの側面を持ちます。
①生理的な側面
人は機械ではなく、機械のように働きもしません。人は仕事をすると疲労が出ます。単一の作業は機械の方がいい仕事をします。人が生産的であるためには仕事のスピード、リズム、持続時間を自らコントロールできる環境を整えることです。
②心理的な側面
人にとって、仕事は重荷となる一方において、必要ともなります。辛苦となる一方において、喜びにもなります。失業が人を傷つけるのは、金銭ではなく尊厳のためです。それは自己実現の源でもあるのです。
③社会的な側面
「私は医者です」、「私は運転手です」という言葉は、社会での役割やコミュニティでの位置づけを表す自己紹介です。「懐かしいのは仕事ではなく仲間です」との退職者の声も珍しくありません。仕事は人の好き嫌いとも関係ありません。仕事は感情抜きで行うことができます。仕事に敬意を持つことさえできれば、嫌いな人とも仕事はできるのです。
④経済的な側面
生計の資としての賃金は安定的・継続的であって、生活のレベルや社会的地位に見合っていなければなりません。これに対し、コストとしての賃金は企業の生産性に見合っていなければなりません。市場に適応し柔軟且つ、競争力を与えるものでなければなりません。緩和することも難しい課題があります。
仕事そのものは客観的なものですが、働く人は情緒的なものです。仕事の論理と労働の側面の双方に沿ってマネジメントしなければならないのです。